八王子の景色   京王御陵線の橋脚                                         [戻る]


長房町の住宅地の中に巨大なコンクリート塊がある。
住宅の間に塀のように建つのは線路の橋脚である。

大正15年12月25日、大正天皇が崩御され横山村
(現八王子市)に御陵が造営されることが決定した。
翌年の昭和2年2月8に御斂葬の儀が執り行われ、
多摩御陵には参拝する人々が全国から訪れる。
京王電気鉄道は参拝者の利用を期待して、北野駅
から武蔵御陵駅に至る京王御陵線を敷設した。

御陵線は、現高尾線の山田駅とめじろ台駅の中間で
北へと曲がり、坂道を下り途中から高架に変わって、
中央線、甲州街道、南浅川を越えて現長房団地の
ある段丘上へ入ると、高架から地上の軌道へ変わり
多摩御陵駅方面に向かっていった。

この橋脚は、南浅川と長房団地の段丘との間に残る
御陵線の数少ない遺物である。







橋脚は隣り合うように2基あるが、形が異なっている。
南側の橋脚は下が広い台形のような形状。
北側の橋脚は上が広がった形状をしている。

京王御陵線は、昭和6年3月20日に開業した。
しかし、太平洋戦争が御陵線の運命を大きく変える。
戦局の悪化により、不要不急線とされて休業を余議
なくされてしまうのだ。

空襲が次第に激しくなり、やがて終戦を迎えるが、
京王御陵線は休業となったまま、一度も電車が走る
ことなく昭和39年に廃止。
昭和42年に、御陵線の一部を利用して京王高尾線
が営業を開始することになる。

80年程前に、この高架の上を電車が走っていた。
電車が走る姿、電車から見る景色はどのようなもの
だったのだろうか。